FUGLEN TOKYO 小島賢治氏スペシャルインタビュー (前編)

FUGLEN TOKYO 小島賢治氏スペシャルインタビュー (前編)

FUGLEN TOKYO 小島賢治氏スペシャルインタビュー (前編)

Release Date: Mar 13, 2015

2014年春、Fuglen Coffee Roasters の始動前夜。

オーストラリアのバリスタであり2003年のワールドバリスタチャンピオン、Paul Bassett 氏から直接指導を受け、Paul Bassett(ポールバセット)新宿、渋谷店のロースター兼チーフバリスタである鈴木清和氏(以下S)が 同じくPaul Bassett のバリスタを経て、現在渋谷代々木にあるカフェ&バー Fuglen Tokyo(フグレントウキョウ)の代表を務める小島賢治氏(以下K)にバリスタとは?その他東京コーヒーシーンについてや今後の展望についてをインタビュー。

2014年に新しく始動した Fuglen Coffee Roasters 設立前の貴重な話を公開。

 

column01

 

S_  バリスタ歴は?

K_ もう7年くらいやっていますね。

 

S_ バリスタになったきっかけは?

K_ かっこいいし、最初はモテると思って始めたのがきっかけですね。
まぁ実際は全然モテていないのですが(笑)
あとは、当時購読していた「café sweets」という雑誌があって、そこにバリスタチャンピオンのPaul Bassettが出ていて、かっこいいなって思ったんです。それが2005年くらいですね。

当時は居酒屋業でけっこうハードな毎日だったんですけど、ある日、仕事中に過労で倒れてしまって・・・
うつろな意識の中で、「もしこのまま死んじゃうんだったら、元気になったら好きな事やろう」って思ったのがきっかけですね。

 

S_ 好きな事がコーヒー?

K_ はい、本当の事なんですけど、やるならコーヒーと決めていました。
コーヒーも好きだったし、「カフェ」っていう響きがなんかよくて。
それに、カフェってなんでもあるじゃないですか。
おいしいご飯、飲み物、雰囲気、それから・・・笑

でも実際に飲食業を経験して、「どんな店が成功するのか、逆にどんな店だとダメになってしまうのか」という事がだんだんとわかりはじめてきていて、そうすると大まかに「カフェをやりたい」だけじゃ絶対生きていけないなって思ったんです。

それなら、日本一のコーヒーショップに入って、一から勉強しなきゃいけないなって考えて、バリスタの世界チャンピオンが作ったコーヒーショップの Paul Bassett を選びました。

結局なぜ Paul Bassett だったのかと振り返ると、俺の中で日本一だったというのが大きかったです。
記事を読んだり、実際にお店に行ってみたりして、ますますその実感が強くなったんです。

あとは、ドリンクを作るだけではなくて、エスプレッソ系で「焙煎」もやっているという店っていうのが、当時はそんなになかったんですよ。
だから、ここではバリスタの技術を身につけた後は焙煎というステップアップがある、と思いました。

但し、社員になれればの話ですが・・・

 

S_ なんで結局 Paul で焙煎までいかなかったの?

K_ 社員にならなかったのが大きいですね。
理由としては、海外に出たかったからなんですが・・・
もっと言うと、Paul Bassett で働いてから、日に日にその思いが強くなったんです。

 

S_ 海外に出たくなった理由は?

K_ 誤解を恐れずに言うと、お客様がコーヒーに対して未熟だったと感じていたからです、「その時は」ですが。
つまり、「コーヒー」という飲み物を求めてくるお客さんがたくさん来る場所に行かないと、自分自身の技術が、これ以上伸びないんじゃないかって思ったんですよね。

 

column03

 

S_ でも自分の技術が海外では伸ばせるかはわからないよね?

K_ 当時、ダンという知り合いがいて、話しているうちに、やっぱり海外だなと強く思いました。
それで、どこに行く?ってなった時、オーストラリアかなって思っていました。特にシドニーかメルボルン。

だって、1日1,000杯近くドリンクを提供しているって聞けば、それだけでもお客さんはわかっているわけじゃないですか。カプチーノ、カフェラテ、そしてエスプレッソ。

当時の日本は、まだまだエスプレッソ自体を知らない人が多い時代でした・・・

(次のページへ続く)

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